らっきょう

20140525  私はらっきょう漬けが嫌いだ。子供のころから嫌いだった。トマトと同じように人がうまそうに食べているのを見るとつい試したくなるのだが、やはりあの酸味と苦みと独特の臭いがだめだった。  大人になると少しずつ味覚は変化する。苦いものも辛い物も食べられるようになって、少しらっきょう漬けが好きになった。先日いい気になって5~6個続けて食べたら胸が悪くなった。味覚よりも体が受け付けなかったようだ。  私はらっきょう漬けが大嫌いだ。

脱走兵プー

 猫たちは窓辺が好きだ。どこの家の猫も、窓からスズメの姿を眺めては妙な声で鳴き始める。日差しがあれば日光浴をし、風があれば臭いをかぐ。  うちの猫たちも普通に窓辺が好きなのだが、気を付けないといけないのは一番最初にうちに来た黒猫のプス。奴は人間の動作を覚えて扉や引き戸を開ける、うちの猫たちの中で一番の知能派。何度か脱走して外の世界を知っているから、ちょっとでも隙を見せようものならあっと言う間にいなくなる。  相次ぐ脱走事件に応じてこちらも色々対応を講じた結果、今では網戸にも簡単なカギをかけている。とは言っても、途方に暮れてすぐに鳴きながら戻ってくるのが関の山なのだが。 20140523

季節が見る夢

 朝から晴れ渡った青空の下、昼下がりのたっぷりと太陽熱エネルギーを蓄えた車に乗り込むと、駐車場から車も人通りもない路へと走らせる。全開にした窓からは心地よい風。遠くへと続くアスファルトにはゆらゆらと熱による光の屈折。  たまたまお昼過ぎの人がいない時間帯に出くわしただけなのだが、例えば沖縄の町はずれにいるような妙な錯覚に襲われる。乾いた土地と乾いた風の白日夢。  地球は回り熱い季節がやってくる。夕方からは雷鳴と大粒の雨。白日夢を見ていたのは誰なのか。 20140522

ジョーロ

20140521 植木の水やり、今までは1リッターちょっとの小さくてオシャレなジョーロを使ってた。小さなベランダで育てる鉢植えには、夏場はちょっとばかり面倒だが用が足りていた。  ところが蔓バラを導入してから極端に大変になった。一度に3回ぐらい水を汲み足せばよかったものが、5~6回でも足りなくなってきた。大きな鉢にたっぷりと水をやるには、小さなジョーロでは時間がかかる。  そこで6リッターの大型ジョーロを導入。ドバドバと水をやってさっと終わる。簡単早い。ただし、鉢の中の土を勢い余って押し流してしまうと後の掃除がちょっと大変。

バラの良し悪し

20140520 うちの庭はバラの花が盛りである。いや、正確に言うなら、庭のみならずタイムラインもバラだらけだ。  カミさんが育てているバラ、なかなか美しいのだが中にはバラらしくないバラもある。バラといえば幾重にも重なる花弁が絵になるが、中には一重か二重の花弁が開ききってしまうタイプもあって、私としてはあまり美しいとは思わない。バラはやっぱり気品があって美しく着飾ったイメージが一番なのだ。  そんな一重のバラのどこがいいのかとタイムラインで聞き耳を立てていると、どうやらバラの原種に近い花らしい。そういわれてみれば昔実家の裏の崖に咲いていた野バラはそんな形だった。オリジナルが一重で華々しいのは品種改良、と考えていると、なんだか今まで嫌いだった一重のバラの花がものすごく愛らしく感じられてしまう。  人の価値観なんて、いやいや、私の価値観なんて案外もろいものだった、と言うわけだ。

自分だけの音楽

20140517 日進月歩、技術は進化している。そんな事を思ったのはiPhoneにオマケで付いてくるインナーイヤフォンを見た時だ。  iPodやiPadに付いてきたイヤフォンは何のひねりもない「これぞオマケのイヤフォン」といった言葉を形にしたものだった。ところが新しいイヤフォンはちょっと見フェラーリのF1ボディーにくっついていそうな形で、まがった外耳の奥に向けて音の波を放ってくれそうだ。音がスカスカしてきては位置を直す行為を繰り返してきた私にとって、ぴったりな形なのだ。  技術者や音に詳しい人に言わせればこんなものは子供だましだというかもしれないが、自分にとってはちょっと嬉しい事なのだ。でも、イヤフォンで音楽を聴く機会ってあまり多いものではない。部屋で聞いていると会話が始まり結局スピーカーに戻るのが常なのだ。

Apple教信者ではないけれど

20140516 アンドロイド携帯を買ってから2年が過ぎ、同じドコモからiPhoneがやっとのことで出たので乗り換えてみた。  iPodやiPadをずっと使っていた自分には、ただ単に慣れの問題とは割り切れない使い勝手の悪さをアンドロイド系に感じていた。アプリのダウンロードが統一されていない、立ち上がったアプリを閉じるのが面倒、すぐ固まる。インターフェースのみならずiPhoneの方が勝ると感じる事は多い。  iPhoneを使い始めてまだ数週間だが、もうすっかり指に馴染んでいる。その代わり、なんだか初代iPadの動きが怪しくなってきた。SNS系のアプリでタイムラインを追っているとすぐ落ちるのだ。当然iPhoneを使う機会が多くなるのだが、画面の大きいiPadは何とも捨てがたい思いが残るのだ。

そんな一日

20140502 ゴールデンウィーク、行楽にはもってこいの晴れ空からは、まるで初夏のようなジリジリとした日差しが降り注ぐ。とは言え特にどこかへ行くということもなく、ヒバリの声を聞き飾窓からのぞく猫を眺めながらのんびり歩く。  砂利道に足元を注意しながら歩を進めるとあちこちにケシが花を咲かせている。花壇があるわけではなく、道端にオレンジ色のケシの花が点在しているのだ。まさか野生ということはないだろうから、誰かが種をまいたか風に運ばれて飛んできたのか。いかにも日本的な古い建物の間に咲くオレンジの花は、ちょっとばかりミスマッチだ。  本当のことを言うとケシの花は嫌いだ。なぜ嫌いなのかと問われると、はっきりしない輪郭だとか派手な色彩だとか、もしかして過去に絵に描いて失敗したことがあるのではないかと自分の記憶を疑いたくなる。  すっかり色彩にあふれた街並みを一回りすると、暗くなった西の空に細い細い月が浮かんでいた。そんな一日。