記憶の表象

イラストレーションブログ 記憶の中の何かを形にしていく作業

新たな謎

20131028 風が強い日に聞こえてくる不思議な音については一応の解決を見た。ところが今度の住処は余程今まで住んで来た場所とは勝手が違うようで、新たな謎が浮上して来た。  部屋のテレビを消して静かに過ごしていると、どこからともなく、いや確実に家の外から、パソコンやテレビの起動音のような「ブオン」といった不思議な音が響いてくる。常に聞こえている訳ではない。かと言って決まった時間に鳴る訳でもない。どこか近所の庭にでも設置してある何かが起動する音なのだろう、とは思う。  ふたを開けてみればたいしたものではないだろうとわかっていても、夜の静寂に低く響く起動音を聞いていると、知らぬ間に地中に埋められた宇宙人の侵略ロボットが立ち上がって歩き出すような、なんだかヘンテコな妄想が膨らみだす。  果たして謎の音は最新給湯器の作動音なのか、三本足の破壊兵器なのか、確かめたい気持ちがむくむくと大きくなりつつあるのだ。

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チョイ寿司

20131027 寿司は江戸前、握りは関東に限る。東京に出るといつも寄る寿司屋がある。築地に近い場所で新鮮な旬のネタを用意して、魚介が苦手なうちのカミさんをもうならせる店。  先日の東京では何かと忙しかったので、帰りの飛行機を遅い時間にして、ギリギリまで寿司屋で過ごそうという事になった。なんだかんだ用事を済ませて寿司屋にたどり着き、時計を確かめると猶予は45分。大将に旬の握りと冷酒を頼むと、流れるような動作で次々と握りが目の前に並ぶ。いつもと同程度の量でしめの巻物にたどり着いた頃、時計を見ると丁度45分だった。  普段と同じボリュームを1/2から1/3の時間で食べるというのは、ちょっとばかり慌ただしい。美味しいものはやはり一口ごとに余韻を楽しみながら食べるものなのだ。駆け足で食べてみて改めてそう感じた。  東京に出たついでに馴染みの寿司屋で一杯やってから飛行機に乗る。それって旅慣れた人がいかにもやりそうで、ちょっと面白く感じていたのだが。しかし我々にとっては慌ただしく旅慣れるよりも、しっかりとペース配分して楽しむ方が性に合ってるようだった。

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神はいずこ

20131025 私は天気の神様に愛されている。そんな事を言うとギリシャ神話の時代だったら当の神様から「傲り高ぶるのもいい加減にしろ」と雷の一つも落とされかねない。それでも重要な場面で雨が上がる事が何度かあると、そんな気がして仕方がない。  もちろんバイクで走っている時に夕立にあったり、洗濯物の取り込みを頼まれていたのに突然の雨に呆然とすることもある。でも、夏の夕立の中をバイクで疾走するのって結構気持ちが良い。前回の東京行きは我々の後を追うように台風が近づいてきたが、帰り道のJR東日本も土壇場でグランドクルーが気を利かせて一本前に乗せてくれた飛行機も空港からのリムジンバスも、悪天候を僅差で避けきってくれた。  ここまで書くと天気に恵まれていると言うのはやはり何か違って思えてくる。どちらかと言えば「悪運強い」と言った方がしっくり来る。幸運の女神という言葉は良く聞くが、悪運を司る神様というのは何処にいるのだろうか。

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ギャラリー巡り

20131020 先日思い立ってギャラリーを巡ってきた。スタートは昼だったが、そこからどれだけ巡れるか、青山界隈を友人に案内を頼んで歩き回った。行った事のあるギャラリーも含めて7箇所まわった所ですっかり陽が暮れて、足が棒になった。  インターネットの普及でいろんな作品を部屋にいながらにして見られるようになったのは素晴らしい事だ。しかしギャラリーの定点観測というのも面白い。何より生の作品はCDと生演奏の差に劣らない程の違いがある。そして作家が在廊していれば思わぬ出会いや発見がある。コレと決めずに訪れれば新しい作品にも出会える。良い事ずくめだ。  青山界隈はギャラリーが多い。少し寄り道すれば骨董通りや表参道で美味しい物にも出会える。食欲の秋と芸術の秋を濡れ手に粟の一日になる事は間違い無し。足が棒になってもおつりが来るのだ。

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静かな秋

20131019 朝晩の気温がだいぶ低くなり、扇風機も夏掛け布団も仕事が無くなった、世間はもうすっかり秋。台風が過ぎて一雨ごとに深まっていく。  夏の終わり、キンモクセイが咲く頃には、毎年うるさいくらいに虫の音が聞こえていたのだが、今年の秋はどこか静かだ。引っ越したせいで虫が鳴かない場所に来てしまったのかと不安になるが、去年は確かにうるさく虫の音が聞こえていた。他はどうだろうと調べてみたら、実家のジャングルのような庭でもあまり虫の音は聞かれない。  コレはいったいどうした事なのか。夏が暑すぎてキリギリスもコオロギも弱ってしまったのか?それとも何か悪い物が地上に蔓延しているのか。あちらからもこちらからも有害物質の噂は後を絶たない。「今年の夏は暑くて余力がないよ」と一息入れているだけなら良いのだが。虫の音に包まれるあの空間が懐かしい。

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晩年を迎える

20131005 雨の日も風の日も、我が足として活躍してくれている原付バイクのチョイノリ。スピードは出ないしトルクもない。燃料系さえ付いてないシンプルなマシンだが、ちょっと出かけるのに何かと便利で愛着がある。  そのチョイノリがそろそろ寿命を迎えそうなのだ。先日キックスターターで始動した折りにバックファイヤーと共にエンジンが吹け上がらなくなった。だましだまし乗っているが、バイク屋で見てもらうと「修理費と中古品の購入費が同じぐらい」かかるのだそうだ。元々チョイノリは価格を下げるために極限まで部品を節約している。構造も毎日ガンガン乗り回すようには出来ていない。あちこちガタが来ているのだ。  動かなくなるまで乗りつぶすという手もあるが、何時何処で止まるかも分からない。安全面から言うともう乗らない方が良いのだが、引導を渡してしまうのも忍びない。たかが機械だが、なんだかヨボヨボ走る姿にすっかり情が移ってしまっているのだ。

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花の視点

20130929 気温もそれほど上がらない晴れの午前を歩く。住宅街には鮮やかな秋の花があふれて視線をさらうが、あまり見つめていると他人の敷地を覗き込んでいるようで落ち着かない。  境界を示す敷地の塀や生け垣に、ただフェンスや常緑樹を植えたのでは味気ないと花を飾る。季節ごとに咲き誇る大きな花木を植えたり、小さな草花を植えたプランターをフェンスにかける。本来は通りの往来から視線を遮る役目を担うはずの生け垣に、華やかに視線を集めるためのワンポイントが生まれれば、覗き込む人がいても無理のない事だろう。  闇雲に花を植えるのではなく、人の視線も考えて花を配置する。住宅街のガーデニングはそんな考えも必要なのだと思うのだが。

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続・吹き抜ける風

 風のある日に聞こえてくるあの音、ビニールホースを振り回しているような枯れた音の正体を突き止める日が来た。  折しも台風が日本列島直撃コースに乗り、吹きつのる風に追跡コンディションは万全とばかり靴を履き替える。予想目標は近所に見える大きな広告塔。夜になると煌々とネオンが灯るその広告塔は、隙間だらけでいかにも風を切る音がうなりを上げていそうな外観だ。  歩いて数分の距離をわくわくしながら近づいてみると、何故かあの音はどこかに消えてしまった。風は変わらず強い。なのに、風を切る音は耳元を過ぎるだけ。おかしいぞとぐるりとまわって住処の近くに戻ってみると、再び聞こえてくる寂れた音。  ゆっくり歩きながらその音を突き止めてみると、実に住処のすぐ裏手にある電信柱の上からだった。目をこらすと電線に保護カバーとして蛇腹のビニールホースがかかっている。その中を通る風の音なのだろう。  幽霊の正体見たり枯れ尾花、ではないが、してやられた感にしばらく立ちつくすのだった。 20130927

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日焼け跡

20130921 今年の夏は外出する事が多かった。外出と言っても近場がほとんど、電車に乗ったりバスに乗ったり、人混みの中を闊歩する事は少なかった。  リゾート地で愛用しているのは小笠原諸島で「ギョサン」として通っているサンダル。ある程度重みがあり鼻緒があるタイプなので、水の中で波にさらわれることなく岩場を歩ける。父島ではじめて手に入れたのは随分前の事だが、「コレは便利だ」と話を広めている内にお土産として頂いたり、産地が本土だと判明したり、何下に知る人ぞ知る名品として出回っていたりでいまだに我が家の下駄箱から姿を無くす気配はない。  夏の間近場を出歩く際はもっぱらギョサンを使っていたために、ギョサンの形に日焼け跡がくっきりと残ってしまった。足元だけを見るとサーファーのような出で立ちだと笑い話になる。行楽には全く出歩かなかったが、その日焼けの形がいろんな思い出を蘇らせてくれる。

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吹き抜ける風

20130914 子供の頃、プラスチックのホースを振り回して音を出す遊びがあったのを覚えているだろうか。そう言う玩具だったのか、洗濯機のホースを振り回していたのか、記憶が定かではないが回す速度によって音の高低が変わるのを面白がった事は良く覚えている。  その音に気がついたのはもう随分前だ。何処からかあの遠心力でホースの中を吹き抜ける風の音が聞こえてきていた。最初は子供の遊びかと思っていたが、聞こえてくる方向に子供の姿はない。そして聞こえてくるのは決まって風のある日。きっとどこかで風が吹き抜ける音なのだろう。  音が聞こえてくる方向に向かって駆け出したい衝動に駆られる。自分が小学生だったのなら迷わず駆け出しただろう。そんな時、決まって何かの作業中で手を離す事が出来ない。大人の事情というヤツだ。それでも、次に風が吹いてあの音が聞こえてきたなら、きっと心の抑えが効かないだろう。台風の予報円をながめながら期待している自分がいる。

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