記憶の表象

イラストレーションブログ 記憶の中の何かを形にしていく作業

DM

20160222  来月、2016年3月22日からタンバリンギャラリーで開催する個展のDMが上がってきた。詳細はまた後日。

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ブログの役割

20150821 Exiteブログの更新を終了したころ、私の中でブログの役割は終わったと感じていた。季節のネタは何周もしていれば似通ってくるし、記憶の話もそうそういろんなことを思い出すものでもない。だから新しいホームページではイラストはギャラリーページへ、ネタを思いついた時にブログを更新する形にシフトしたのだ。  ところがこれがあまりよろしくなかった。ブログの記事を書きイラストを描く事は意外にも頭の働きを活性化させていたように思う。右脳と左脳をそれぞれ使って橋渡ししたものがブログ記事となるのだから、それはただイラストのネタを考えているよりも豊かな発想を引き出していたのだ。  近頃個展に向けて続き物の作品を作ることにかまけていたから、新しい発想ということからずいぶん離れてしまった気がしている。ここらでブログに新しい役割を与えて復活させるべき時が来たと強く感じている。

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靴の真価

20150127 普段気軽に履く靴、余所行き用ではないがサンダルだとちょっと、という時に履く靴にメレルのメッシュジャングルモックを使っていたのだが、いい加減すり切れたので買い替えることにした。  メレルのジャングルモックは靴底のデザインが最高なのだが、足の形にフィットしているから足自体が小さく見える。普段ばきにスタイルを求めてもしょうがないのだが、候補としては「足が大きく見える」「リーズナブル」なものを探して、結局定番のコンバースに落ち着いた。その新しいコンバースを履きはじめて数日で、早くも後悔するとは思わなかった。  いったいどんな後悔をしたのか。コンバースは見た目はとても良いのだが、靴底のクッションや内貼りが値段相応のものを使っている。つまり足が疲れやすく靴擦れができやすいのだ。おまけに紐靴は脱ぎ履きに時間がかかる。緩めに結んで解かず脱ぎ履きしてもよいのだが、それはどうも性格的にやりたくない。八方塞がりである。  思えばメレルは履いていて足が疲れることもなく、非常時でも裸足でも履いていて気持ちが良かった。そこは倍以上の値段の違いからして仕方がない。しかしである。鏡の前に立つとメレルを履いた足よりもコンバースを履いた足の方がやっぱりしっくり納まって見えるところが面白いし、なぜかそれで納得してしまうのだ。  靴の価値は靴底のデザインや履き心地だけにあらず。次回はちょっとぐらい値は張っても履き心地が良くて足が大きく見える靴底の魅惑的な靴を探し出して手に入れてやると心に決めるのだが、果たしてそんな靴があるのだろうか。

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汚れ取り

20140920 仕事用の事務椅子のホイールを掃除した。知らぬ間に埃と汚れの塊が筋状に盛り上がって、ポロポロはがれて気がついたと言う訳だ。その汚れを見て、ピンセットでペリペリ剥がしてみて、これはどこかで経験のある面白さだと思いだした。  トラックボールのついたマウスは今ではLEDマウスにすっかり淘汰されてしまったが、カーソルの動きが悪くなるとトラックボールや小さなホイールにこびりついた汚れをピンセットで剥がしていたのは使っていた人には必ずある経験だろう。筋状に固まった汚れの端をピンセットでつまむと、うまく行けばぐるりと一周きれいに剥がれる。そのあとのスムーズな動きと相まって、何ともすっきりとした気持ちにしてくれたものだ。  椅子のホイールを掃除したところで座り心地が劇的に改善されるわけではないが、きれいにする気持ちよさは久しぶりに味わえた。次にひそかに狙っているのはダイソンの掃除機のノーマルヘッド。使い勝手はあまりよくないが、小さなパーツが取り外せるようになっていて埃が詰まってもメンテナンスがしやすい。そろそろいいのではないか、たっぷり汚れ剥がしを楽しめるのではないかと目論んでいるのだが、あんまり放置しているとただ汚くしていると思われそうで癪である。癪だけど一気に綺麗にしたいし、綺麗にしたいけどもうちょっと育てたいし。阿呆な悩みだと猫がそっぽを向いた。

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夏の定番

20140914 ふと気が付くと季節は巡り、どんなに日差しが強くても秋風が心地よく感じるようになった。過ぎ去って気が付くのはいつも夏の間にし残したこと。ジリジリと肌を焼く日差しの下でやっておきたかったことばかりが頭をよぎる。  それでも今年の夏は二つのかき氷が印象に残った。一つはタンバリンギャラリーでロバミュージアム2014の最終日に、ギャラリーボビンのオーナー笹木さんに作っていただいた、奥様お手製のフルーツコンポートのせかき氷。もう一つは山間の古寺のすそ野にあるお茶屋で食べた、素朴な黒蜜だけかけたかき氷。かたや嵐の蒸し暑い風に吹かれて、もう一方は木陰の涼しさに吹かれて。どちらも見た目以上に美味しかった。  夏に定番のカキ氷を堪能して今年は悔いがないかと問われるとそうでもない。白玉と練乳がかかったかき氷が食べたくてあちこち走り回ったのに、結局出会うことができずに終わってしまった。どこかにクーラーのない日本家屋で白玉と練乳のかかったかき氷を夏と一緒に出してくれる店がないものだろうか。 イラストのキャラクターでLINEスタンプを作りました。 >>こちらからダウンロードできます。

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夏景色

20140824 台風の去ったよく晴れた日に車で山に向かって走り出す。空の青さに山の緑が鮮やかに映え、雲が作り出す影が山肌をゆっくりと横切っていく。  観光地が多数ある街道を山裾に沿って走ると、コンクリートの街並みがどんどんと遠ざかり、なだらかな曲線で前へと伸びる道が並木と古臭い田舎家や行商小屋の間に吸い込まれている景色に、もう何十回と繰り返してきた夏の風景を次々と甦らせる。  夏空で夏雲で夏景色で、夏である。これで向かう先がいつもの耳鼻科検診でなければ完璧な夏休みなのだが、ただの日常なのだ。

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虹をくぐって

20140815 今住んでいる街は虹が出ることが多い。虹の街と称するほど多くはないが、雨が降って日が差して来れば見上げると虹を見つけることができる。今まで住んだ街とどう違うのか、先日ぼんやりと虹を見上げていて思い当った。  天気の境目はどこにでもある。川の向こうが雨でもこちら側は晴れていたり、幹線道路に沿って雲ができていたり。この辺りで言えばその境目はほど近いさして高くもない山脈。海からの風と陸の空気がぶつかって雲を作る。その雲がモクモクと成長して雨が降り、山の向こうの晴れた空から日が差すと、必ずと言っていいほど虹が出る。  雨上がりに濡れ光る田んぼの稲と鮮やかな虹を見てると、面倒くさい頼まれ買い出しもちょっとしたスペクタクル、楽しい道行きになるのだ。

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オオカミ速報

20140705 ベランダでくつろぐ昼下がり、突然どこからか聞こえてくる緊急地震速報のアラート。慌てて携帯やテレビを確認しても世の中は何事もなく普通に動いている。近頃こんなことが何度か繰り返し起こって正直辟易している。  そのままベランダで聞いていると同じ音色で音楽も流れてくるので、どこかで誰かがサンプリングした音を流しているのかも知れない。それにしてもはた迷惑な話だ。あの音を聞くと2011年のあの日から続く陰鬱な日々が頭の中をよぎる。首都機能がマヒし、物がなくなって不自由な生活から徐々に回復しつつも余震の速報に神経を尖らせる日々。もう忘れてしまった様でいて案外深く心の中に根を下ろした出来事だったのだ。  今日もどこからか流れてくるアラートのメロディー。しばらくそのまま聞いているとアナウンスが聞こえてきた。行政が試験放送を行っていたらしい。有事に備えるのは素晴らしい事なのだが、もう少し配慮ができないものだろうか。あの音に慣れてしまうことが恐ろしい事に感じるのだが。

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虹を越えて

20140629 スランプ、などと言う物は気の迷いである。そもそも絵を描くのに頭を使いすぎるのがいけない。心の赴くままに描けばいいのだ。いい音楽を聴き、きれいな写真を眺め、世の中のちょっといい話にほろりとすれば普段の調子は戻ってくる。  雲が多い夕方に西の晴れ間から太陽が顔をのぞかせると鮮やかな虹が大きなアーチを描き出した。

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スラスラスランプ

20140625 関東ではゲリラ豪雨に雹にと大騒ぎになっている梅雨真っただ中、関西のここら辺では夏の太陽が照りつけている。暑さのせい、と言う訳でもないのだろうが、原因不明のスランプに陥っている。  本当は何が原因かはわかっている。アレとあれとアレにあれ。でもちょっと認めたくないから原因不明ということにしている。いいじゃないか、原因不明のスランプ。なんだか天才肌みたいでカッコいいじゃん。  ゴロゴロしてみたり料理をしてみたり、色々やってみても調子は戻ってこない。そうそう、そんな時は雑誌や漫画に逃避するのが実は効果的なんだとちょっと思い出した。レコーダのハードディスク一杯に録りためてる映画でも消化してみようか。

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