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虹をくぐって

20140815 今住んでいる街は虹が出ることが多い。虹の街と称するほど多くはないが、雨が降って日が差して来れば見上げると虹を見つけることができる。今まで住んだ街とどう違うのか、先日ぼんやりと虹を見上げていて思い当った。  天気の境目はどこにでもある。川の向こうが雨でもこちら側は晴れていたり、幹線道路に沿って雲ができていたり。この辺りで言えばその境目はほど近いさして高くもない山脈。海からの風と陸の空気がぶつかって雲を作る。その雲がモクモクと成長して雨が降り、山の向こうの晴れた空から日が差すと、必ずと言っていいほど虹が出る。  雨上がりに濡れ光る田んぼの稲と鮮やかな虹を見てると、面倒くさい頼まれ買い出しもちょっとしたスペクタクル、楽しい道行きになるのだ。

季節が見る夢

 朝から晴れ渡った青空の下、昼下がりのたっぷりと太陽熱エネルギーを蓄えた車に乗り込むと、駐車場から車も人通りもない路へと走らせる。全開にした窓からは心地よい風。遠くへと続くアスファルトにはゆらゆらと熱による光の屈折。  たまたまお昼過ぎの人がいない時間帯に出くわしただけなのだが、例えば沖縄の町はずれにいるような妙な錯覚に襲われる。乾いた土地と乾いた風の白日夢。  地球は回り熱い季節がやってくる。夕方からは雷鳴と大粒の雨。白日夢を見ていたのは誰なのか。 20140522

そんな一日

20140502 ゴールデンウィーク、行楽にはもってこいの晴れ空からは、まるで初夏のようなジリジリとした日差しが降り注ぐ。とは言え特にどこかへ行くということもなく、ヒバリの声を聞き飾窓からのぞく猫を眺めながらのんびり歩く。  砂利道に足元を注意しながら歩を進めるとあちこちにケシが花を咲かせている。花壇があるわけではなく、道端にオレンジ色のケシの花が点在しているのだ。まさか野生ということはないだろうから、誰かが種をまいたか風に運ばれて飛んできたのか。いかにも日本的な古い建物の間に咲くオレンジの花は、ちょっとばかりミスマッチだ。  本当のことを言うとケシの花は嫌いだ。なぜ嫌いなのかと問われると、はっきりしない輪郭だとか派手な色彩だとか、もしかして過去に絵に描いて失敗したことがあるのではないかと自分の記憶を疑いたくなる。  すっかり色彩にあふれた街並みを一回りすると、暗くなった西の空に細い細い月が浮かんでいた。そんな一日。

燃える稜線

20140106  山が近いと毎日のちょっとした天候や気温、太陽光線の変化で景色ががらりと変わる。平野の向こうの方に海や山が見えている土地や、高いビルに視界を閉ざされた街ではこれほどダイナミックな変化を見る事が出来ない。視線を上げて景色を眺めるのがこれほど楽しい日々は、今まで無かったと思う。  最近のお気に入りは晴れた日の夕暮れ。西の山向こうに太陽が沈んでいくと、稜線の向こう側に沸き立つ雲が太陽に照らされて、金色に波打って見える。夕焼けに染まる時刻になると、まるで山が真っ赤に燃え上がっているように見えるのだ。  空が澄み冷たい空気と暖かい空気がぶつかる冬だからこそ見える景色は、夏の入道雲ばかり追いかけている心に新鮮な風を吹き込んでくれた。

それぞれの雪景色

20131116 季節は移り変わり、私が住んでいる町にも雪が降り始めた。雪が降ると言っても降り積もる事はない。すぐそこに見える山から湧き立った雲から風に乗って舞い降りた氷の結晶は、地面に届く前に消えて無くなってしまう。少し離れた場所から眺めると、山から風向きによって煙ったように霞む所が雪の降る場所だとわかるくらいだが、いつも白く染まるのは山の上の方だけなのだ。  Twitterのつぶやきで少し前に住んでいた町の気温が4度で寒さに根を上げる様子を伝えてきた。こちらはそれよりも更に数度低いと思うと、方角的には南の島に近いはずなのにこの寒さはどうした事だろうと訝しく思う。北の国でもないのに天気が崩れれば雪が舞う、何だか不思議な所に住んでいるような気がしてくる。  年に数回しか雪が降らないが降れば確実に交通が麻痺する街と、度々雪が舞う事があっても決して降り積もらない町。どちらが良いと言う事はないのだが、あのしんしんと白く降り積もる雪の中で後数メートルの距離を残して車を止め、坂道を見上げてため息をつく情景が何だか懐かしくもある。

遠い空と近くの空

20131110 東京横浜の空は騒がしい。成田や羽田が近いからではない。一般航空機の飛行空域の下に自衛隊や米軍のために空けてある空域があるので、旅客機は飛行場を飛び立つとしばらく急角度で上へ上へと登っていく。日曜日の静寂を破るのは決まって自衛隊や警察のヘリや輸送機なのだ。  関東を離れて思う事の一つは、空が静かだという事だ。そう遠くない所にいくつもの飛行場があるし、所属がわかるくらいに低い所を民間旅客機が飛んでいく。それでも食器棚のガラスを震わせるような騒音をたてる事は一度もない。はじめて低く飛ぶ旅客機を見た時こそ「緊急事態でも起きてるのか」と驚いた物だが、最近ではそれもまた日常の風景にとけ込んでしまった。  そしてそのまた高い所を飛行機雲と共に飛んでいく旅客機。ここを通り越して更に先へと飛ぶ便か、それとも遠い海外を目指す便か。飛行機雲を眺めていると心が旅の空へと思いを馳せるのは何処にいても同じ事。

花の視点

20130929 気温もそれほど上がらない晴れの午前を歩く。住宅街には鮮やかな秋の花があふれて視線をさらうが、あまり見つめていると他人の敷地を覗き込んでいるようで落ち着かない。  境界を示す敷地の塀や生け垣に、ただフェンスや常緑樹を植えたのでは味気ないと花を飾る。季節ごとに咲き誇る大きな花木を植えたり、小さな草花を植えたプランターをフェンスにかける。本来は通りの往来から視線を遮る役目を担うはずの生け垣に、華やかに視線を集めるためのワンポイントが生まれれば、覗き込む人がいても無理のない事だろう。  闇雲に花を植えるのではなく、人の視線も考えて花を配置する。住宅街のガーデニングはそんな考えも必要なのだと思うのだが。

梅雨の合間

20130703 昼過ぎから南よりの風が強くなった。南からの風は梅雨時の湿度を含んで、南向きの窓を全開にしても全く涼しくならない。あまりに風が強いので窓を閉めた。  夕暮れ近くなると南風が止んだようなので窓を開け放しに行くと、今度は西からの風。西風は火照った肌に丁度気持ちいい涼しさだと窓を開け放つと、間もなく雨を連れてきた。  窓の開口を小さめにして扇風機でぐるっと部屋に涼しい空気をまわす。一番涼しい部屋に猫たちがわらわらと集まってくる。猫と一緒にちょっと一休み。

小さな画材屋

20130325b  ここに越してきてからもう少しで1年が経とうとしている。必要な物はその都度電車に乗って大きな街まで買い出しに出ていたのだが、一番重要な画材は近所 でも手に入るという事が最近わかった。家から歩いて数分の所に美大受験の看板を掲げた場所があるのは早くから知っていたのだが、そこが小さな画材屋だとは 思いも寄らなかったのだ。  入口から折れ曲がって奥に続く店内は、大きくもなく小さくもなく、必要最低限の物は取り敢えず揃うというような品揃 え。その売り物と一緒に受験生たちのデッサンや平面構成が並べてある。2Hから6Bの鉛筆や木炭を買っていたあのころの記憶が瞬時に蘇ってきて面白い。記 憶の中のあの店もこんな小さな所だった。  店番はコテコテの関西弁のおばちゃん。話を聞いてみるとその予備校はほとんど関西の有名美術大学に進学するのだとか。東京の大学に行く子はほとんどいないらしい。なるほどなるほど、並べてある絵を眺めてうなずくのである。

開花情報

20130318 ちょっと前まで朝は凍える寒さだったのに、いつの間にか手がかじかむ感覚も忘れるほど暖かくなった。何よりそれを敏感に感じているのはうちの観葉植物た ち。家の中に幾つもおいてある鉢からは、鮮やかな緑の新芽が幾つも伸び、ベランダのミニバラもたくさんの赤い新芽から葉を広げはじめた。  外を歩くとあちこちで梅の花が咲きほころんでいるのが目に付く。東京や九州からは桜の開花情報も流れてきた。この辺りもそろそろかと思っていたら、めでたい事に姪っ子から「サクラサク」と報告があった。